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雑記 ~ 開会宣言を座って聞くのは、礼を欠いているのか・・・? ~

 何やら、ネットの記事や書き込みなどを見ていると、天皇陛下のオリンピック開会宣言のときに座っていた首相や都知事は礼を欠いている!」というものが多く目に入る。

 私もテレビで開会宣言を見ていたが、陛下の宣言中に首相と都知事が慌てて立ち上がるようすを見て、見苦しいなぁと感じた。でも、「座っていたから礼を欠いている」とはまったく思わなかったので、ネットの記事や書き込みを見て、わりと驚いている。私は、首相と都知事が慌てて立ち上がるようすを見たときに、「そのまま座っときゃいいのに! 余計なことして!」と思った。同時に、「アンタらが立ったら、宣言をなさっている陛下が目立ちにくくなるぞ!」とも思った。

 少し調べた方はおわかりだろうが、1964年の東京オリンピックでは、陛下の開会宣言のとき、周りの人たちは起立していない。この件については知っている人も多いようで、ネット上には「1964年の開会宣言では起立していないから、別に座っていても礼を欠いたことにならないのでは?」という意見もチラホラとみられる。

 その一方で、興味深いのは、「1964年のときには座ってたけど、今は時代が変わってるんだから、起立べき」という意見もみられるということだ。私は正直なところ、「今は時代が変わってるんだから、起立すべき」という主張は、納得がいかない。理由は単純だ。私が確認したかぎりではあるが、そのように主張している人たちは「1964年と現在を比べて、どのように時代が変わったのか」をまったく示していないのだ。「当時の考え方は〇〇・・・一方、現在の考え方は〇〇・・・だから、起立すべき」と主張してくれれば、私はそれなりに納得するだろう。主張をする際には、根拠を明確にすべきだ。仮に正しい主張だとしても、根拠が乏しければ、台なしになってしまうぞ!

 さて、結局・・・首相や都知事は、開会宣言を起立して聞くべきだったのか。それとも、座って聞くべきだったのか。仮に、私が生徒からその質問をされたら、「どっちでもええんちゃう?」と答えるだろう。過去のさまざまな開会宣言を確認すると、みな起立している場合もあるし、みな座っている場合もある。つまり、明確な正解はないのだ。怖いのは・・・起立が正解か、座っているのが正解か、という二択で考えてしまうことである。今回、明確にいえるのは・・・「宣言の途中で慌てて立つと非常に見苦しい」ということだけではないだろうか。学校でも、卒業式の予行に参加していなかった先生方が、本番で立つタイミングがわからず、変なタイミングでバラバラと立つことがしばしばある。練習不足・準備不足な感が丸出しで、ものすごく見苦しい。私の中では、単純にそれと同じだ。

 そういえば、私は以前、ある学校で勤務していたときに「座っているときに目上の先生から話しかけられたら、起立しなさい」と指導を受けた。その学校ではそれが常識らしく、若い先生は目上の先生に話しかけられたら、即座に立っていた。そして、しばらくその学校で勤めていると、私も自然に起立する習慣が身についた。困ったのは、その後に他校へ移った際である。立つ習慣が身についていたので、私は目上の先生に話しかけられたときにスッと起立した。すると、その先生から「そういうのはやめてくれ」と言われた。私は頑固に「いや、そういうわけにはまいりません」と言い返したが、結局、その先生から肩を押さえつけらえて、ムリヤリ椅子に座らされた。

 そういう一件があったので周りを観察したが・・・目上の先生から話しかけられたときに起立している先生は、ひとりもいないじゃないか! それは、現在の勤務校でも似たようなものである。すぐにサッと起立しているのは、ベテランの体育の先生だけである。そういうこともあるし・・・開会式といっしょにするのはよくないかもしれないが、やはり、起立するのが正解なのか、座って聞くのが正解なのか、まったくわからない。

 とりあえず・・・閉会式のときには、みなさん、打ち合わせや準備を入念にしときましょうな。打ち合わせや準備さえちゃんとしておけば、少なくとも、バタバタ見苦しい姿をさらすことはなくなるだろう。なんか、気が早いが夏休み明けの最初の授業が気になってきた。長期休暇明けの授業、今まで何度か中途半端な準備で臨んでしまって、変な感じになった覚えがある。ここで書いたことがブーメランにならないように、気をつけなくては・・・!

                       < 完 >

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