いい夢みてる?

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雑記 ~ 読みまちがいが気になって ~

 先日、M-1を見ていたときのことだ。世間では出場していた芸人さんのネタについて賛否の声があるようだが、私は全体的に楽しく見させてもらった。だが、ある芸人さんのネタを見ていたときに、自分がいかに集中力のない人間かを痛感した。

 番組中、ある芸人さんがネタの中で「合戦」ということばを使っていたのだが、「がっせん」と発音していたのだ。たしか、2回、「がっせん」と言っていたと思う。「雪合戦」とか「さるかに合戦」とか言うときには「がっせん」と読むが、「合戦」と単独で使う場合、読み方は「かっせん」だ。ネタの中で、その芸人さんの読みまちがいに対してツッコミが入るわけでもなかったので、おそらく純粋な読みまちがいなのだろう。

 まぁ、読みまちがいやカンちがいは誰にでもあるし、別にいい。問題は、私がその「がっせん」という読みまちがいを聞いた瞬間に、急激に集中力が低下したことである。読みまちがいが気になってしまって、そのあとのネタがしばらく耳に入ってこなくなってしまったのだ。言い方を変えれば、急に集中力が切れた感じになって、ネタをまったく楽しめなくなってしまったのである。その程度のことで集中力を切らしてしまうなんて、私はなんと「小さい」人間なのだろうか。

 実はこのパターン、何年か前にもあったのだ。職場の同僚で、ものすごく戦国時代が好きな人がいた。彼は、戦国時代の話になると非常に熱が入って、一生懸命に語る人だった。でも、彼も「合戦」を「がっせん」と読んでいたのである。そして、そのときも私は、「がっせん」と彼が口にするたびに集中力を欠いてしまっていた。「正しい読み方は『かっせん』だよ」と教えてあげたい気持ちと、「こんなに戦国時代が好きな人に対して、話の腰を折る形でそんな指摘をしたら、プライドを傷つけるかな?」という気持ちが交錯して、彼の話をまともに聞けなくなってしまったのである。あれから何年も経ったが、私は何も変わっていない。恥ずかしいかぎりだ。

 まちがいを指摘するということは、本当に難しい。私は教員なので、生徒がまちがっていた場合は指摘できるが・・・大人のまちがいは、なかなかうまく指摘できない。特に、博識を披露するかのように朗々と語っている同僚教員に対して、話をぶった切って「今のことば、読み方が違いますよ」と指摘するのは、私にはムリだ。

 あぁ・・・他人のまちがいに寛容な、「いい意味で無神経」な人間になりたい。きっと、そういう人は、毎日が幸せだろう。言うまでもないが、「ただの無神経」な人間にはなりたくない。そういう人は、毎日が幸せだが・・・毎日、誰かを不幸にしているのだ。

                        < 完 >

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